天災手順。祖母から 母から 私へ

実家の和歌山の祖母と母は南海大地震を経験してます。津波で川からひとが流れてきたそうです。祖父母たちがはしごをわたして、つかまったひとを助け上げるのを見たと母は言ってます。寒くて焚き火で川から上がった人を温めたそうです。

そんな体験をもつ母に育てられた私たち妹弟。台風が来るとわかると母はおおきなやかんに水をためたり、お風呂をわかして私たちをお風呂にいれました。ご飯をたいておにぎりつくって、きっと停電対策だったのでしょう。おかしもあって、なんかこわいようなたのしいような台風はおうちの一大イベント。

停電がなければ、すき焼きをしていつもより豪勢な食事。風も強くなって雨もごうごうしてきます。かみなりもどっかん。母は蚊帳をつって早い時間に私たち三人をいれます。台風のときは、蚊帳に入ってると大丈夫やで。こわくないんやで。

そんなこんなで朝がきて雨もやんで私たちが騒がしくなると、ほんまおまんら台風一家やという。本人しゃれのつもり?祖母譲りのしゃれ。

今回の地震で怖さで震えるまえに、私はお風呂をわかして水をおなべにためて、炊飯器でご飯をたいた。懐中電灯を食卓jに並べた。なにこれ?いつもにない機敏さで。

水を貯めるのは台風の次の日は水道水がにごるときがあるからで、理由があります。少しの間ですけど断水もありました。

台風だとあらかじめわかってるので、数日分の食料やおおめのおかしを買いためる。でも地震はわからない。 電話通じない。ケータイ通じないだけだったのに、あせったし、不安だったし。そのときやるべきことがインプットされていたのでパニックにならないですんだのだと思います。適切な行動であったかどうかは別ですけど。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です